■ とかしき島のおじいさんとの出会い
 
 

2002年秋、那覇の知り合いから送られてきた島の海の写真を見て、私は即、渡嘉敷村役場へ電話をした。
「千鶴伽と申しますが、島の海が綺麗なので、島で歌わせてください!」。
その時、島は台風の被害で道路が崩壊するという大惨事の真っ直中で、「イベントどころじゃないので
2ヶ月位して再度電話を。」との事。
以来、色々ないきさつがあり、翌2003年3月と8月の2回、島のイベントへの出演にこぎつけた。
これにも、汗と涙のエピソードがあるが、それはまたの機会にするとして。
島の人たちと関わっていく中で、『戦争の話を聞いた上で島の歌を作りたい』と思い始めたことは、
ひめゆりの塔へ初めて沖縄に着いたその日に行った事の衝撃が影響していると思う。
こういう話を北海道の子供達は知ってるのだろうか?
生き証人として涙を流しながら戦争体験を喋っていたさっきのおばあちゃんは、来年もまだいらっしゃるだろうか?

そして2003年の1月末、島の歌を作ろうと決心して私は渡嘉敷島へ行った。
しかし、実際は集団自決というものをなかなか直接島人に尋ねることができず、困ってしまい、
とりあえず資料館へいった。そこで、Kおじいさんと出会う。
錆付いた短剣を眺めていた私に、「集団自決の時、これで若い男の子が家族を刺していったんだよ。
僕は中学生で刺される人の背中を支える役目だったよ。人間の胸は硬いからね。」と語りかけてきた。
いくつか質問してみたら、「君は新聞記者なの?」とちょっとこわい顔で尋ねられ、「島の歌を作りたくて来た。」と、
島の案内を思い切って頼んでみた。
「Kと言う名前をいえばわかるから、宿の人に言って、明日のお昼に車で送ってもらってきなさい。」と言われ、
翌日、島中をおじいさんは軽自動車に乗って案内してくれた。
夕方、別れる時に運転席から片腕を伸ばして、振り向かないままで私に手を振りながら、青い空の下
消えていった光景が今でも忘れられない。
1月末とはいえ、10度前後もあったが、ここ数年では最低で皆寒い寒いと言っていた。
なのに、日差しは夏のように強かった記憶がある。
その夜は、慶良間太鼓の練習に参加することになっていたが、その時点で私は気が滅入ってしまっていた。
特に、日本軍人による島人や朝鮮人に対する血みどろの残虐行為の話が衝撃的過ぎて、『教科書問題』
などという言葉も頭に浮かびつつ、亡祖父は軍人だったなぁとか思い出したりもしていた。
青い海と空、真っ白な砂浜という島のイメージが、真っ赤な怒りと驚きに塗り替えられてしまった感じで、
「私はこの島の曲を書けるのだろうか?」と、正直へこんでしまっていた。
そんな気持ちのまま、練習場所である体育館へ。
そこで、私はまた以下の衝撃的な話を聞くことになる。
資料館のKおじさんは3ヶ月程前に30代半ばの息子を海難事故で亡くし、それ以来、戦争について取材を
しに来るマスコミ関係者も含め誰とも口をきかなくなってしまっているという。
昼間のおじいさんとの島探検の話をすると、皆驚いて、「おまえよぉ〜!すげえことしたなあ。」、
「いや〜ぁ、いいことしたよな千鶴伽は。ありがとなぁ。」と。
その夜、閑散期のため、のペンションはガランとしていた。
私はどうしても一人で部屋に寝るのが怖くてたまらず、宿主に頼んで修学旅行中の息子の部屋に
寝かせてもらった。

数日後、東京に戻り、1ヵ月後の『とかしき島の歌コンテスト』に向けてがんばった。
とにかく、おじいさんに自分の作った曲を早く聞いてもらいたいなと変に焦ったりもした。
でも、まさか血みどろな歌詞など書けるわけないという妙な生みの苦しみの中でなんとか完成し、応募。
めでたく最終選考5組に選ばれ、3月初旬の「渡嘉敷島の歌コンテスト」へ出場。
審査は、観光客も加えた投票制で、結果は288票対287票。私は1票差の2位だった。
表彰式の後、ステージから数百メートル離れた所に立っていたおじいさんが、「ちづ〜かぁ〜を、いつもの
5万円の双眼鏡よりもっと高い8万円の双眼鏡でここから見ていたよ〜」と笑っていた。
「え〜?なんで生で聞いてくれんやったとよぉ〜。」と私は思わず叫んでしまった。
しかし、おじいさんはいつものようにニッコリしただけ。
「2位で悔しかったけどさぁ〜」と、カッコ悪いとは思いつつ、彼には本音を言ってしまった。
そして、島の戦争慰霊碑である『白玉之塔』へ、また連れて行ってもらった。
その夜に、またもや島人に衝撃的な話を聞かされてしまった。
おじいさんは、数週間前に、今度は兄弟を亡くしていて、『不幸事があった人は祭り事に参加できない』という
慣わしのため、祭りの会場には近付けず、離れたとこに立って私を双眼鏡で見ていたんだと。

以来、3月末の慰霊祭の時には島へ行ったりと、交流は続いている。
全国での旅話の一つとして、世界で5本の指に入るこの島の海の美しさとそこに秘められてきた悲しい話を、
私流に紹介している。特に北海道の子供達には、この話をしたいと思っている。

このコンテストから約一年後の那覇の夜。
1位だった山村ジュン氏と、那覇で再会し、ある事実が判明。
なんと私達は10年前、東京で催されたあるコンテストに二人とも出場していて、会場のトイレの前でお互いに
挨拶し合っていたのだった。
東京に戻ってすぐに、埃まみれになっていたそのコンテストのパンフレットを開いてみたら、今より10年若い
私の顔がドアップで写っているその次の次のページに、やはり10年若いジュンちゃんが笑っていた。



とかしき島の唄        作詞&作曲:千鶴伽

彼方で響く慶良間太鼓は 風になって
咲き乱れてるツツジと たわむれてゆく
シベリア海を旅して 鯨が
また この島へと 春を連れて来た

白い砂浜 七色の海
此処に在るもの 永遠に

卵の月が 赤間山にかかって光る
そんな夜には 珊瑚礁の声を聞く
失いかけた夢の貝殻を
さあ この島で拾い集めてゆこう

満天の星 朝の輝き 
此処に在るもの 永遠に 
青い楽園


白い心眠る あの塔に誓う
かけがえのない 渡嘉敷の空
僕らが守ってゆく


白い砂浜 七色の海
此処に在るもの 永遠に
満天の星 朝の輝き 
此処に在るもの 永遠に
青い楽園

変わりゆくもの 残すべきもの
此処に在るのは 青い楽園

 
 
 
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